SNSを正しく使う事と気軽に使う事は矛盾している点もありジレンマを感じるって話。

SNSを正しく使う事と気軽に使う事は矛盾している点もありジレンマを感じるって話。

SNSを使っている目的は何ですか?

■ネット社会でのモラルについての共通認識を持って行こう

マニュフェストとかエモいとかバズるといった新しい言葉が生まれて人々に使われる様になると次に意味は分からないけれど会話の雰囲気で使う人も増えて広まり言葉は定着をしていきます。しかし、全ての人が共通認識している言葉はなく曖昧な認識だからこそ「言葉を作り発信した人の狙い」が達成されているというのが現状です。

「この件につきましては皆様のご意見を真摯に受け止め再発しないよう一生懸命前向きに取り組みます。」

耳辺りの良い言葉や一見意味ありげな言い回しは実は何も言っていないなんて場合も少なくはありません。基本的に人は責任の所在を明確にしたくないと思うもので問題は時間が過ぎて曖昧にできればそれが一番という考えが多くの願いなのでしょう。今は「好き勝手に生きて誰からも指指摘を受けたくない。」という生き方を実現しようとして出来そうな時代なのかも知れませんが、人が人の中で生きていくのですからどこかに歪が生まれるのも当然です。

SNSによる個人の情報発信が容易になった点と新しいビジネスモデルの先駆者を見て「やったもの勝ち」という空気感が一部にあるのも事実ですが、先にやっている方と後から真似る方が同じ確立で成功するはずはなく、より目立ちより過激にという安易な方向へ進んでいる状況も理解できます。

少し話がそれますが、僕はお笑いではリズムのあるテンポの良いものが好きです。

テンポの良いしゃべくりは同じ話を何度聴いても面白く感じます。逆に苦手なのは「素人いじり」です。仕事以外では人見知りをする性格な上、共感羞恥で見ていられません。まぁ、プロだったら素人いじりするのはどうかなという気持ちも僕の中には多少ありますが人前に出てこそ魅力のある玄人裸足の方もたくさんいらっしゃいますし、そこは個人の好みの話ですね。

同様に、いたずら動画や危険な場所での動画撮影についても良くは思いません。メジャーになりたい、お金持ちになりたいという願いを叶えるための手段の一つとしてYouTubeが挙げられますが、だからこそ後発の参入者に明確な道筋を示してあげたいものです。やはり、しっかりとしたルールを持った方がチャンスは広がると考えています。

■人となりを知らないままにネットで正しいコミュニケーションはとれない

「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」とはドイツの哲学者ニーチェの著作『善悪の彼岸』での言葉ですが、これはインターネットミームでもあるため知っている方も多いと思います。この言葉はしばしば小説やアニメ、映画にも流用されているようです。

僕が見たものの中では「櫻子さんの足下には死体が埋まっている」等は印象強く残っていますね。

まぁ、同作品のドラマは観ていませんが、この言葉は今のネットが一般化した社会環境を上手に表現している様に感じるのは僕だけでしょうか?

例えば、今までは多くの方が我慢していたセクハラ、パワハラ、モラハラ、スメハラ、マタハラ等、SNSで発信されるハラスメント(嫌がらせ)行為の種類はどんどん増えています。人から注意されて厳しければパワハラ、論理的に説明すればロジハラ、一般常識から説けばモラハラ、異性だったのならセクハラ、体臭が気になったのならスメハラ等々、当てはめようと思えば何かしら当てはまりそうです。もう人とのコミュニケーションを直接的にするのもどうかと戸惑いを感じますね。

それじゃあ、文字でのやり取りだったらどうでしょう?

「この前はごめんね。」

「いまさら何言ってんの。もう友達じゃない。」

皆さんはこの会話を見てどう感じるでしょう。この文章には「許せない、友達なんかじゃない。」という捉え方と「友達なんだから謝らなくていい、みずくさいよ。」という捉え方が出来ます。文字でのやり取りの間柄にもコミュニケーションが必要という事です。

八幡曰く自虐ネタもある程度の親密さが無いと本気で退かれてしまう。」といったところでしょうか?

人から不満を感じて、それらを全て排除しようと考えれば、自分もまた無自覚に人を傷つけている事があるというジレンマが世の中にはあります。それをどこまで理解してどこで折り合いをつけるのか、人生の課題と言っても良いでしょう。

言いたい事を言うというのは人からも言われる覚悟を持つという事なのです。

■自分の考えを述べるのなら他人の意見も聞く事が大切

そもそもセクハラとは「職場内での意に反した性的嫌がらせの強要と不利益」に対して使われていました。しかし、今では異性への嫌がらせ全般に使われている気がします。もちろん「嫌がらせ」に対して自分の意志をはっきりと示す事は大切です。

ですが、SNSで容易に賛同も得られるため意見発信は過剰になっている気がしてします。

言うなれば「自称弱者ハラスメント」とでも言いましょうか?自分にとって少しでも都合の悪い事、嫌な事があれば「私はこう思います。正しいですよね?」という声を発信します。もちろん、それは良い事なのですが突き詰めると「自分の望まないものを全て排除する」という考えにまで陥りがちになってしまうので注意が必要です。

社会は人と人の歩み寄りで成り立っている面があります。それは自分にとって納得いかない事や嫌な事もあるでしょうが、そこで自分の考えを述べて賛同を得る事と自分の思い通りになるまで声をあげ続けるのはちょっと違います。

誰か一人の意見を突き詰めれば全ての人に同時に心地よい世界になるというものではありません。誰かにとって住みよい環境は誰かにとって不都合である場合も十分に考えられるのです。

弱い立場だという主張をすれば何を言っても良いというわけではありません。

一人の意見が世界を動かした何てニュースもありますが、一人の我が儘で人が動いたのではなく人れの意見が人の心を動かしたのです。SNSはコミュニティツールと言われています。自分の考えを言い放つのではなく、自分の考えを世に放ち昇華させたいものです。

ただ、SNSって気軽に言いたい事を言い放てるから流行っているからそこにジレンマがありますね。

 
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