■虹は何色ですかと聞かれたら皆さんはどう答えますか?
日本では一般的に7色に表現されている虹ですが、この虹を表現する色数は国によって異なっているそうです。実に、その色数は少ない国で2色、多い国では8色で表現されています。もちろん、地域で現れる虹のデザインが異なっているはずもなく、国や文化でとらえ方が違っていると考えた方が良さそうです。
現実の虹の色ですが、クレヨンや色鉛筆で描いているイラストでは無いのですから境界線がはっきりしているわけではありません。どちらかと言うと絵の具で描いたように境界面はグラデーションになっています。このグラデーション部分の捉え方がそれぞれの国で違っていると考えられます。
ちょっと想像し難いのですが、南アジアでは虹の色を赤と黒の2色で表現するのだとか。
しかし、これは虹が南アジアの方々には赤と黒に見えているという事ではないようです。例えば、日本においても保育園や幼稚園では「太陽」を黄色ではなく赤色に描く子が目立つと聞きます。これは単に明るいと暗いを赤と黒の2色で表現しているのでしょう。これと同じ理由です。
また、色だけでなく数や文字もその文化や教育環境によって違ってきます。
そこにはコミュニケーションと認識の共有という必要性があるからなのですが、教育をはじめとした芸術などの水準が一般的にどれほど広く浸透しているかも大きな問題です。例えば、オーストラリアやアメリカの開拓時代では現地で家畜を「1、2、3、沢山」と数えられており一部では4や5という数字すら知らない人がいたとも言われています。
これは家畜の所有を主張する必要が無いという現状とその情報を共有する相手がいない環境、それ以上は数えても意味が無いからなのです。
■虹が7色なのは言葉で色数を伝えないといけないから
では、話をもどして考えますが、どうして日本の虹は7色なのでしょう?
調べてみるとプリズムを使った実験からも分かる通り、太陽の光がおよそ7色に分解されているからだとか解説を見つける事ができますが、そんな理屈を知りたいわけでもなく先に述べた通り「およそ7色」とはグラデーションになっていて明確に7色に分解されているというわけではありません。
ではなぜ虹は7色なのでしょうか?
日本で虹は一般的に「赤、橙、黄、緑、青、藍、紫」の7色で表現されます。これに対してアフリカ(一部の部族)では黄色と緑色の間に「黄緑色」が入った8色で表現したそうです。しかし、そもそも虹の色を検証する際にそれぞれの国に色を表現する言葉はどれだけあったのでしょう?
日本にも黄緑色はありますし、何なら山吹色や水色を加えて10色にしたって何の問題もありません。
おそらく「言葉」では無くてカラーカード等を使って選んで並べてもらえば人によって虹を10色以上で表現する人もいることでしょう。言葉で質問するから人は虹を7色と答えるのです。
■虹が7色に見えているのではなく、7色だと決められているという現実
「色の名前」は時代により分離して増えています。そして、それは日本においても違いはありません。
例えば、青色がそうです。未だに「緑色」のりんごを青りんごと言いますが、緑色は長く親しまれてきた青色から新しい表現として分離して生まれました。「深緑の青」、「青々とした緑」なんてよく考えたら不思議な言葉ですよね。
そもそも文化や表現方法という点から考えると「末広がりの八(色)」でも良い気がします。
しかし、日本で虹の色が7色なのは「当たり前」で皆が知っている周知の事実だと認識した方が良さそうです。かつて日本でも地域によって虹は2色~8色程度で表現されていました。おそらく現在では多くの方が虹は7色だと答えるはずです。これは虹が7色に見えているのではなく、虹は7色という常識が広まったと考えるべきなのでしょう。
日本人は基本的に勤勉で真面目です。
当のアメリカ合衆国では虹を6色で表現されているのですが、ニュートンは虹の研究において光の境界線を7色に設けています。面白いのは「ニュートンはキリスト教の研究者でもあり一説には7を音楽の7音音階にもつながる神聖で特別な数と考え虹を7色としたともいわれている」と知られている点です。やはり、最後は文化やメンタル的な意味付けになるのでしょう。
単に虹は7色と設定されているから7色だと共通認識されているのかも知れませんね。